[英傑に学ぶ!]天下人を支えた石田三成のサプライチェーン・マネジメント

英傑に学ぶ!

こんにちは。LOCAL LOGITEXの佐藤慶樹(けいき)です。

今回からシリーズものを始めたいと思います。
シリーズのテーマは[英傑に学ぶ!]と題して『歴史上の人物とサプライチェーン』について書いていきます。

引用:Wikipedia

1.「素人は戦略を語り、玄人は兵站を語る」

サプライチェーン・マネジメントとは1980年代にアメリカの経営コンサルタントが使い始めた言葉なので、そこまで歴史が古いわけではありません。ただ、軍事用語だった”兵站(ロジスティクス)”などそれに近い概念は古くから存在しており、冒頭の「素人は~」は軍事学に伝わる有名な格言と言われています。非常に興味深いのは歴史上の戦いには”いくら局地的な戦闘が強い軍隊であってもサプライチェーンを軽視したために敗れた”というケースが散見されるということです。

勝つためにはサプライチェーンは欠かせない。
これは近代ビジネスにも通じると思います。

たとえば、トヨタ自動車創業者である豊田喜一郎氏が提唱した”ジャストインタイム(JIT)”や副社長だった大野耐一氏が体系化したトヨタ生産方式などはサプライチェーン・マネジメントに通じますし(ちなみに大野氏の名著『トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして―』が発売されたのは1978年のこと)、セブンイレブンを成功に導いた、ひとつの地域に集中して出店するいわゆる“ドミナント戦略”もサプライチェーンを重要視した経営戦略と言えます。

2.今回の主人公は石田三成

前置きが長くなってしまいましたが、記念すべきシリーズ1回目の主人公は石田三成です。

三成といえば、関ヶ原の戦いの「敗軍の将」というイメージが強いという方も多いのではないでしょうか。

豊臣秀吉の参謀では軍を指揮した黒田官兵衛や竹中半兵衛が有名ですが、その最前線へ武器や兵糧などの補給や物流(現代でいうバックオフィスやロジ)を指揮したのが三成と言われています。

司馬遼太郎氏は著書『関ヶ原』で三成についてこう触れています。

秀吉は三成のこういう才を愛し、朝鮮出兵のときなども、もっとも数学的頭脳を要する渡海運輸のことを主管させた。

船は四万艘ある。兵は二十万人。さらに馬や、兵糧、馬糧、硝薬、弾丸、矢。これらを輸送するのに、まずは船の割り当てをし、ついで朝鮮へ送り届けてから空船は対馬にさしもどし、そこからまた積んでいく。

空船が海上にいる時間をできるだけ少なくし、満船の回転をよくするには、満船、空船の速度、積みおろし時間、軍船と荷物船のかねあいなど、複雑な計算の基礎が要る。

三成はそれをとどこおりなくやってのけたが、これだけの大軍を輸送するばあいの、これは世界戦史上の稀有な成功といっていい。

引用:『関ヶ原(上)(新潮文庫)』司馬遼太郎著

三成を主役にした小説なので、面白くするために”盛ってる感”は否めませんし(笑)、朝鮮半島における補給線が寸断されずに継続していたとされてますが、海上では朝鮮水軍が制海権を握ったため豊臣軍が苦しんだといったこともあり、必ずしもすべてが順風満帆に進んだわけではないということは付け加えさせて頂きます。

それでも朝鮮出兵は日本の官軍が初めて他国に侵出した”16世紀における世界最大規模の戦争”とも言われており、これだけ戦線が拡大したことは当時の日本戦史上はじめてのことで、それを担ったのが三成だったということは確かです。

3.石田三成から学ぶサプライチェーン

ここまでお伝えしてきて、私たちが三成から学べることは大きく次の3点と考えています。

(1)最適な物流網の構築

歴史家で作家の加来耕三氏は日経ビジネスの連載でこう記しています。

三成は豊臣政権が完成することを前提に、泰平の時代が来たときのシステムづくりを担う人間です。豊臣政権の初期は、千利休や秀吉の弟の秀長などが政権を担っていました。しかし、特に秀長が亡くなってからは、秀吉も考えたわけです。「これからはシステムの時代だ」と。

 そこで五奉行制度をつくって、各奉行の担当役割を決めておき、人間が替わってもその役割を担わせればいいシステムを創ったのです。そして最初のひな型づくりを一番のエースである、石田三成に任せたのでした。

三成が築き上げた功績は輝かしいものでした。それまで日本には、形だけとはいえ、京都を中心としたネットワークが出来上がっていましたが、そのネットワークの中心を全部大坂に切り替えたのです。南蛮貿易の拠点である堺も大坂につないで、全世界と大坂はつながりました。

 豊臣政権は徳川政権に比べて、はるかに前衛的な政権だったのです。豊臣政権は直轄領をそれほど持っていませんでした。持たなくても海外貿易による利益が凄(すさ)まじかったため、金には全く不自由しなかったのです。三成は新しい泰平の時代の、豊臣政権をつくり上げていったわけです。

引用:日経ビジネス | 加来耕三の「歴史の英雄に学ぶ成功と失敗の本質」
第1回 本当は徳川家康と仲が良かった石田三成

過去や従前の体制にとらわれず、新たな挑戦をすることで利益を生む姿勢は我々も見習わなければならないポイントだと思います。

(2)現地調達

加来氏はこのようにも書いています。

関ケ原の合戦のとき、東軍は各陣の後方に荷駄があって、兵站の米俵を運んでいました。ところが西軍には、それに相当する荷駄はありませんでした。西軍は陣を全部切手、つまり為替と現金で動かしていたのです。その分、身軽であったわけですね。

引用:日経ビジネス | 加来耕三の「歴史の英雄に学ぶ成功と失敗の本質」第1回 本当は徳川家康と仲が良かった石田三成

三成は朝鮮出兵の際も兵糧の現地調達を指示しています。
現地調達することにより「納期を短縮する」、「無駄な輸送コストを抑える」、「過剰在庫を減らす」などのメリットがあります。

現代ビジネスでも重要なポイントですが、三成は当時からそれを理解していたのです。もちろん、これらを実行するためには事前の情報収集能力が必要で、その点でも三成は長けていました。

(3)武断派が戦闘に集中できる供給体制の構築

豊臣政権には主に「武断派」と「文治派」に分かれていました。福島正則や加藤清正に代表される武断派は、合戦の最前線で戦い武功を挙げ、秀吉の天下統一に貢献しました。

一方の文治派には三成のほかに大谷吉継や小西行長が挙げられます。加来氏によると、天下統一するまでは派閥間の関係は良好でした。武断派は戦場で、文治派は兵站や作戦計画で、それぞれ活躍の場が明確だったからです。

合戦で武断派のベストパフォーマンスを引き出し天下統一を果たせたのは、三成をはじめとする文治派が絶えず兵糧や武器を供給し続けた功績が非常に大きかったと言えます。

現代でも、営業や店舗といった”ビジネスの最前線”に製品や資材を絶えずベストなタイミングで供給していくことは、企業にとって売上と利益を最大化する重要なポイントです。

4.巨いなる企て

いきなり個人的な話になりますが、私の好きな”三成本”は堺屋太一氏の『巨いなる企て(おおいなるくわだて)』です。

僅か20万石の身でありながら、255万石の家康に戦いを挑んだ石田三成。堺屋氏は、三成が創造した関ヶ原という天下分け目の合戦を「日本史上最初の”ビッグ・プロジェクト”」と記しており、三成の知謀を讃えています。

1970年の大阪万博というビッグプロジェクトに携わった堺屋氏ならではの表現ですし、家康と三成の立ち位置を現代のビジネスパーソンに例えているのも興味深いです。

「関ヶ原」前夜における徳川家康と石田三成の立場を現代風に戯画化すれば、前者は自ら育てた優良企業を豊臣株式会社と合併し、代わりに豊臣株式会社の株の何割かを得た実力派の副社長であり、後者は社員持株制で二、三%の名義を与えられているだけのエリート社員の企画部長兼社長室長とでもいったところだろう。

引用:『巨いなる企て(毎日新聞社)』堺屋太一著

結果的には破れてしまったものの、部長クラスが副社長に挑み、天下分け目の合戦という舞台を創り上げたという事実は、まさに偉業と言えます。

皮肉にも武断派が徳川側についたことで、豊臣政権はほぼ一代で幕を閉じることになりましたが、三成が残した功績はこれからも語り継がれるでしょう。

以上、今回は石田三成のサプライチェーンについて解説しましたが、いかがだったでしょうか。

三成が秀吉の天下統一を裏で支えたように、我々が提供するサプライチェーン代行サービス『LOCAL LOGITEX』もお客様に貢献できるよう努めていきます。

サプライチェーンを構築するうえで少しでも課題をお持ちの方はぜひ、こちらのページからお気軽にお問い合わせください。

もう少しLOCAL LOGITEXを知りたい方はこちら

資料ダウンロードはこちら

お問合せはこちら